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歴史から読み解く「人事の世界」第4回<北条氏、武田氏、今川氏>

読了目安:6分

豊臣・北条・武田...戦国大名の明暗を分けたものとは

天正19年(1591年)、豊臣政権の圧倒的な「No.2」であった豊臣秀長がこの世を去った。絶対的な利害調整役であり、政権のインフラともいうべき存在を失った豊臣政権は、いかにして混迷へと突き進んだのか。

第4回では、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を務める駿河台大学・黒田基樹教授が、「秀長亡き後の構造的限界」を検証するとともに、北条氏、武田氏、今川氏などの他大名との比較を通じ、現代の企業経営・組織人事にも直結する「後継者教育」「減税政策」「大企業病の克服」という普遍的テーマを解き明かす。(文・佐々木広人、写真・STUDIO ZEFF 加藤大樹)

秀長なき豊臣政権の混迷 ―― 「奉行層」による調整の限界

出典:絹本著色 豊臣秀長像(奈良・春岳院所蔵 / Wikimedia Commons / パブリックドメイン)

秀長の死去は、単に「優れた補佐役の喪失」にとどまらず、豊臣政権の統治インフラそのものを根底から揺るがした。秀長という一門(近親者)の中核を失った秀吉は、晩年、自分自身と「五奉行(石田三成ら)」に頼って政権運営を行わざるを得なくなった。

黒田教授は、この構造転換がもたらした決定的な限界を指摘する。

「秀長が亡くなったことで、豊臣政権には大名同士の不満や対立を調整できる存在がいなくなってしまいました。秀吉は奉行層を使って政務をこなそうとしましたが、石田三成をはじめとする奉行たちは、決して身分が高いわけではありません。

大名から見れば、自分たちより身分の低い奉行に指図されるのは、現代で言えば、取引先の社長が、相手企業の社長秘書に上から目線で命令されているようなものです。当然、強い反発や感情的な対立が生まれます。相手の大名と同等かそれ以上のステータスを持ち、対等に口を利けるのは一門しかいません。その唯一の調整機能を失ったことが、豊臣政権崩壊の引き金となったのです」

秀長亡き後、大名間の争いや不満を処理できる存在は、もはや政権内で徳川家康しかいなくなっていた。

「奉行

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WRITTEN BY

黒田基樹

駿河台大学 法学部教授

専門は日本中世史、とりわけ戦国時代の関東地方史と後北条氏・武田氏研究。NHK大河ドラマ『真田丸』(2016年)、『豊臣兄弟!』(2026年)で時代考証を担当。『戦国北条五代』『国衆 戦国時代のもう一つの主役』など著書多数。近著に、秀吉の政治的・軍事的実像を約560通の一次史料から描いた本格的評伝『信長時代の羽柴秀吉』(角川選書)がある。

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