サイバーセキュリティ事業を展開し、この2年でメンバー数が37名から68名へ急拡大したGMO Flatt Security株式会社。この急成長の裏で、たった一人の人事として組織の土台を築いてきたのが、2026年2月に同社CHROに就任した鈴木もも香氏だ。鈴木氏は独自の人事システム「FlattHR」をAIで自作するなどテクノロジーを駆使する一方、AI時代における「働く意義」を問い直す課題に向き合っているという。その思考の根底にあるのは、国際バカロレア認定校(※1)での教育や獣医学部で命と向き合った経験だ。これまでのキャリアを紐解きながら、これからの組織のあり方について聞いた。(文・南部香織 写真・波多野匠)
※1多様な文化への理解と尊重、主体的な探究心を育む国際バカロレアプログラムを提供する学校。
AI時代のCHROが考えるべき、本当に大事なこと
――2026年2月にCHROに就任されました。現在はどのような課題・施策に取り組んでいますか。
鈴木:従前より力を入れていた事業拡大スピードに耐えうる組織作りに引き続き取り組んでいます。組織変更は必要だと判断したタイミングで機動的に行うほか、毎週火曜に「事業軸の経営会議」、金曜に「組織軸の経営人事定例」を行っています。決して派手な施策ではありませんが、事業へ全振りする経営陣にアクセルを踏み込ませつつ、週1ペースで人や組織のコンディションを同期させるサイクルを回しています。
――AI時代に合わせ、組織のあり方も変えようとしていると聞きました。どのような姿を目指しているのでしょうか。
鈴木:まずこの8月に、事業モデルと組織構造を「AI前提」へ全面シフトするという大きな意思決定をしました。
AIによって攻撃側と守り手側の時間軸が大きく変化する中、人間が手動で脆弱性診断・ペネトレーションテストを行うモデルには供給量の限界があります。そのため、トップエンジニアが培ってきた高度な専門性やノウハウをAIに組み込み、スケールさせていくモデルへの転換が不可欠でした。一方で、人間のプロフェッショナルが担う役割も消えるわけではなく、より高度な領域へと昇華させています。具体的には、物理侵入も含めて組織全体の防衛力を検証する『Red Team』や、ソフトウェアサプライチェーン攻撃に備える『トレーニング』など、「人と組織」に対峙する領域へ軸足を移しています。
このように、AIを活用して事業をスケールさせつつ、エンジニアが持つ本質的な技術力を活かせるキャリアや組織のあり方そのものを再定義しているところです。
――すると、求められる人物像も変わっていくのでは。
鈴木:AIが前提の組織になっていく中で、現場ではすでに「職域」が溶け始めていると感じています。例えば私も非エンジニアの人事ですがHRのシステムを作るなど、開発もします。単一の職種名では表現しきれないミッションが増えているからこそ、採用のアプローチも変えました。その一つが、採用サイト内に設けた「課題から探す」というページです。「職種」だけでなく、「今この課題を一緒に解いてほしい」という“課題”をフックに求職者と繋がるアプローチにトライしています。
セキュリティAIエージェント「Takumi」の開発現場でも、セキュリティエンジニアがこれまでの枠を超えて、ソフトウェアエンジニアの領域である開発まで踏み込むような変化が起きていますね。
――それに伴うひずみもありそうです。
鈴木:従
…
――そういった中で人間が向き合うべき役割はどんなところにあると思いますか。
鈴木:AIには代替できない役割が3つあると考えています。1つ目は、「価値観と志の決定」です。AIは最適解は出せても、「自分たちはこれを成し遂げる」という覚悟と志を決めることはできません。2つ目は「人間の感情と向き合うこと」です。社員や取引先、選考を受けた候補者など、相対する人間の心の揺らぎに気づいて向き合うことは人間にしかできないかなと。3つ目は、「説明責任を果たすこと」です。なぜその決断をしたのかを、自らの言葉でメンバーや社外に語り、真摯に向き合って納得してもらうことも人間が担うべきだと思っています。
――では、次世代のCHROや人事責任者に必要な要素はなんだと考えますか。
鈴木:意図的なゆとりを組織に設計することではないでしょうか。AIによってあらゆる業務処理や意思決定は高速化されています。しかし、それに人間が合わせていくと常に高密度の仕事をしていくことになる。AIの出力を待つ数秒から数分間ですら、結果を待ち構えていて休めてはいない。そういったゆとりがない状態では、良い発想やイノベーションは生まれにくいと思います。そうであるならば人事が、強い意思を持ってゆとりを確保できるような設計をしないといけません。
弊社でも、今年の全社合宿では、丸1日パソコンから離れて、レゴブロックを使って思考を可視化し対話を深める「レゴ®シリアスプレイ®」をやってみようと思っています。人間が人間らしく思考し、お互いの感情に向き合う。AI時代だからこそ、そういった時間が必要だと考えています。
命に向き合う日々から生まれた、ここで働くことで人生を豊かにしてほしいという思い
――鈴木さんは獣医学部を卒業していますが、メーカーや製薬会社などではなく、IT業界で人事の道を歩むことになった経緯を教えてください。
鈴木:幼少期から生物や自然科学など「未解明の領域」が好きで、一度深く学んでみたいと思い、獣医学部へ進学しました。ただ、就活をしてみて、仕事内容よりも「誰とどんな夢やビジョンを追いかけるか」が自分にとって大切だと気づいたんです。また、中高時代を中国のインターナショナルスクールで過ごし、そこで国際バカロレア教育を受けていました。テクノロジーを使いながら、いろんなテーマを深く追求していたので、その頃からIT領域にはすごく興味がありました。その二つの観点から会社を探し、1社目はIT通信企業の株式会社ネクスウェイに入社しました。
――1社目から人事部配属で新卒採用をしていたとのことですが、希望していたのでしょうか。
鈴木:入社してすぐに、社長室で新卒採用を担当してほしいと言われたんです。2019年当時は珍しかったと思いますが、コロナ禍前にオンライン面接を行ったり、X(旧Twitter)での採用や海外在住の日本人学生の採用も実施するなど、新しい試みにたくさん挑戦させてもらいました。
その後、IoTスタートアップである株式会社ビットキーに転職することになります。今度は中途採用を担当し、最終的に採用責任者まで務めました。
――人事としてキャリアを歩む上で、原点になっている信念や経験はありますか。
鈴木:大学時代、研究や実習で「命」と直接向き合う時間が多くありました。その中で、「今、この瞬間という時間は尊いものだ」という考えが深く刻まれ、大切な価値観の一つになっています。だからこそ、私は人生の大半を占める働く時間を単なる労働の切り売りではなく、「ここで過ごした時間が、自分の人生を豊かにしてくれた」と働く全員に思ってもらいたいんです。そのためにも、私は社員が抱える「モヤモヤした感情」を見逃したくないですし、解きほぐしていきたい。一人ひとりの強みが自然と発揮できる環境を人事としてデザインしていくことが、私の信念です。
――2024年3月にGMO Flatt Securityへ入社しましたが、一人目の人事と聞いてどう感じましたか。
鈴木:次の環境でも高め合える人事仲間が欲しいと思っていたので、転職方針と違い戸惑いました。ただ、その懸念を払拭してくれたのが、実際の選考体験でした。当時人事が不在だったにもかかわらず、選考フロー全体の設計や候補者との向き合い方が非常に緻密で、驚かされました。経営陣やメンバーがここまで深く採用に向き合っている姿を見て、人事が一人であることは問題ではないと考えを改めました。最後は純粋に「この人たちと一緒に働きたいな」と思えたことが、一番の決め手でしたね。
CHRO就任で増した意思決定の重み。データを重視しつつ感覚も忘れない
――入社してから行った施策にはどのようなものがありますか。
鈴木:内定式を行うといった基本的な部分を整えることをはじめ、社員全員参加の合宿を昨年初めて開催しました。また、月1回のエンゲージメントサーベイの運用改善をし、「いつもと様子が違うな」という兆候がリアルタイムに届くようにし、素早くフォローできる体制を作っています。一番の貢献は、事業成長の土台となる採用を着実に進められたことだと思います。この2年で社員数を38名から70名近くに増やすことができました。
――セキュリティエンジニアのビズリーチにおけるスカウトからの返信率は16.2%、オファーからの内定承諾率は83%(※2)に昇ると聞きました。どのような工夫をされたのですか。
鈴木:選考体験を最大限良質なものにするように努めています。カジュアル面談から経営陣が出席することも多いですし、今は転職を考えていない方でもその段階で会食に誘うこともあります。「絶対一緒に働きたい」と思った方に熱意を伝える努力は惜しみません。最終段階では「1day体験入社」を実施し、実際に会社の空気に触れてもらい、週3回実施している全社の「雑談タイム」にも参加してもらっています。このカルチャーを体験できる設計が、一緒に働きたいと思ってもらえることに繋がっている気がします。
※2 集計期間:2024年3月18日〜2026年2月9日
――昨年、鈴木さんがAIで自作した独自の人事システム「FlattHR」も話題になりました。
鈴木:人事データはさまざまなツールに点在しがちで、総合的にデータを見ないとわからないことも多いんです。そこで「自分で作ってみよう」と思い、「Claude Code」を活用し、セキュリティ部分は社内のセキュリティエンジニアにチェックしてもらいながら開発を進めました。現在も改修・実装を進めているところです。
最初の開発段階で、残業時間や勤怠の小さな変化、アンケートの推移といった「兆候」をいち早く捉えられる手応えを得られました。現在はさらに実用性を高めるべくアップデートを重ねている最中です。一方で、自分自身が出社して肌で感じる会社やチームの雰囲気も大切にしています。データと現場の肌感、その両方を組み合わせることで、一人ひとりの「今」にどこまでも真摯に向き合っていきたいですね。
――CHROに就任して意識が変わった部分はありますか。
鈴木:肩書きが変わっても以前から重視していたことを責任を持って実行していくことに変わりはありません。ただ、“意思決定の重み”は変わりました。経営メンバーの一員として意思決定することは、社員の人生を左右するわけで、これまでよりも一層覚悟を持って取り組みたいと考えています。