「鎌倉殿の13人」に学ぶ人事のリアル。崩壊した合議制と御恩の真実
終身雇用の形骸化やジョブ型雇用の進展、さらにはカリスマ創業者の事業承継や経営チームの再構築など、現代の企業は組織と個人の「契約関係」や「ガバナンス」をめぐる大きな転換期を迎えている。しかし、人間と組織が直面する課題の本質は、800年前の鎌倉時代も現代も驚くほど変わらないはずだ。
シリーズ企画「歴史から読み解く人事の世界」。今回は、中世政治史の第一人者である藤田医科大学特命教授で同大学リベラルアーツセンター長の本郷和人氏にインタビュー。鎌倉時代の「御恩と奉公」のリアルな実態、源頼朝の死後に生まれた「13人の合議制」の真実から、現代の人事や組織デザインに通じる本質的なヒントを解き明かす。(文・佐々木広人、写真・STUDIO ZEFF 加藤大樹)
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武士が求めた「御恩」:「本領安堵」という明確な対価関係
歴史の教科書でもおなじみの「御恩と奉公」。武士が主君への忠誠を尽くし、主君がそれに報いるという美談として語られがちだが、本郷教授は「誰かの発明でもコペルニクス的転換でもなく、人間社会に極めて自然発生的に生まれた対価関係(ギブ&テイク)に過ぎない」と断言する。
「誰かのために働く(サービス)を提供したら、それを受け取った側が何らかの報酬
…
当時の社会には、現代のような警察組織や自治体の役所、登記制度といった公的な不動産所有権を証明する仕組みが存在していません。所有の概念そのものが未成熟で、力づくで奪い合う、いわば『ドラえもん』のジャイアン的な世界観が日常だったのです。そうした不透明な時代において、源頼朝という強力な武家トップが『この土地はお前のものだと私が保障してやる』と約束したこと。これこそが、命をかけるに値する最大の御恩でした。
頼朝の保障が社会的に効力を持ったのは、頼朝に反対して『そんな保障は認めない』と抗う勢力を、鎌倉幕府の構築過程で次々と戦って排除し、潰していったからです。自らの武力で実力行使を行い、担保できる環境を力づくで勝ち取った。つまり、御恩と奉公とは甘い忠誠心などではなく、警察なき時代における『身分と資産の安全保障契約』だったのです」
主語は個人ではなく「家」:合理的ロジックと血縁観のリアル
現代人の感覚からすれば、「戦場で死んで自分が滅びてしまえば、恩賞をもらっても意味がないのではないか」という疑問が湧くのだがーー。
「現代人は『個人』を主語にして考えがちですが、中世武士にとって御恩を受ける主語は、個人ではなく『家(いえ)』でした。『自分が戦死したとしても、その献身的な奉公によって家に対して御恩(土地や地位の保障)が与えられ、家柄が守られて子孫へ存続・繁栄していくならば、自分が死ぬことには十分な価値がある』という思考回路です。家という組織の価値を高めるための合理的判断として、個人の死が位置づけられていました」
さらに興味深いのは、当時の武士たちの「血縁観」だ。ともすると、血の繋がり(万世一系的な血統)を重んじることを想定しがちだが、本郷教授によれば、当時の武士には血縁そのものへの強いこだわりはなかったという。
「大切なのは血がつながっていることではなく、あくまで家という単位を残し、その価値を高めることでした。だからこそ、家を存続・繁栄させられる優秀な人材であれば、養子を迎えて家督を継がせることも極めて合理的で肯定的な選択でした。『家』という組織の存続・拡大こそが最大の目的であり、個人や血統はその手段に過ぎなかったのです」
カリスマ不在を補う合議体「鎌倉殿の13人」とその早期消滅の真相
(写真左から)鎌倉幕府初代執権の北条時政と2代執権の義時。出典:歌川芳虎筆『大日本六十余将 伊豆 北条相模守時政』(Wikimedia Commons / パブリックドメイン)、『承久記絵巻 巻第2』北条義時(Wikimedia Commons / パブリックドメイン)
源頼朝という絶対的なカリスマが急逝した後、鎌倉幕府は大きな組織的危機に直面します。2代将軍となった源頼家が父のような強い決定権を行使しようとした際、幕府の重臣たちが結成したのが有名な「13人の合議制」。2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で近年、脚光を浴びた。
本郷教授はその実態を「頼家の独断と暴走を抑え、権限を剥奪するための政治的な牽制システムだった」と分析する。
「頼朝は強大な決定権を持つトップでしたが、頼朝が死んだ後、後継の頼家が同様に振る舞うのを防ぐため、御家人たちが集まって『あいつから権限を奪って黙らせよう』と結託したのが発端です。13人のメンバーには、大江広元らの実務官僚層、頼家を支持する親・頼家派、そして頼家の発言力を削ぎたい勢力が、それぞれ絶妙なバランスで配置されていました。主導したのは、権力奪取を狙う北条時政・義時の親子だと推測されます」
この「13人の合議制」は、組織のガバナンスとして長く機能したのか。答えは「ノー」だ。
「目的が『将軍の権限剥奪』という政治闘争だったため、合議制そのものはほとんど機能しませんでした。頼家が重用した梶原景時が失脚し、比企能員(頼家の岳父)が倒され、北条氏の優位が確立すると、合議制の存在意義自体がなくなりました。『形骸化した』というより、『制度そのものが消滅した』と捉えるのが正確です。形だけの集団指導体制は、明確な統治目的を持たなければ一瞬で崩壊するという格好の事例です」
初期武士の「リテラシー」と官僚層登用に見る組織の進化
出典:大江広元肖像(大庭学僊筆・毛利博物館所蔵 / Wikimedia Commons / パブリックドメイン)
鎌倉幕府が単なる「武闘派集団」から「行政・法務組織」へと成長していった背景には、人材のリテラシー(教養・実務能力)の変化があったという。
「鎌倉初期の有力御家人たちは、基本的に『字が読めない・書けない』のが普通でした。彼らの価値はあくまで戦いの巧さだったのです。その中で、北条時政と梶原景時は例外的にきれいな字が書け、文書を読解・作成できる稀有な存在でした。頼朝の初期政権で時政が重用された最大の理由は、まさにその『文字リテラシー』という希少価値にありました」
しかし、政権が軌道に乗るにつれて、組織に求められる人材像は急激に変化していった。
「京都の朝廷で下級官僚をしていた大江広元らのように、圧倒的な教養と行政実務能力を備えた専門人材が鎌倉へ流入してきました。彼ら専門官僚層が頼朝の側近として実務を固めるようになると、単に『字が書ける』レベルだった北条時政への依存度は下がり、政治的発言権も低下していきました。武力一辺倒の組織が、実務官僚の登用によって本格的な組織へと脱皮していったプロセスがここに表れています」
エンゲージメントの再定義と「カリスマなき後」の役割デザイン
鎌倉初期の政治劇と「御恩と奉公」「13人の合議制」の歴史的実態は、現代の人事制度や経営層に対してどのような示唆を与えるのか。本郷教授の指摘から、2つの主要なアジェンダが浮かび上がる。
精神論に頼らない「身分・資産の安全保障」によるエンゲージメント設計
現代の企業で声高に叫ばれる「エンゲージメント」や「会社への愛着」。しかし、これを従業員の「帰属意識」や「やりがい(自己犠牲)」という精神論に依存させていては、組織は長続きしない。「御恩と奉公」が教えるのは、主君(会社)が従業員に対して「明確な対価(身分・資産・キャリアの安全保障)」を提示できて初めて、従業員は命や時間を預けるという冷徹な事実だ。
ジョブ型雇用や流動化が進む現代だからこそ、単なる金銭的報酬にとどまらず、「この組織にいれば自らの市場価値(資産)が守られ、高められる」という確固たるインセンティブ設計=現代の「本領安堵」を企業側がどう提示できるかが問われているかもしれない。
「カリスマ離脱後」の安易な合議制回避と専門実務の配置
創業者や強力なリーダーが退任した際、成長期の組織などでは「CxOによる集団指導体制(合議制)」へ移行しがちだ。しかし、「13人の合議制」が証明したように、単に旧来の利害関係者を並べただけの合議制は、政治的な牽制や足の引っ張り合いに終始し、すぐに機能不全に陥るリスクがある。
カリスマ亡き後のガバナンスに必要なのは、単なる権限の分散ではなく、①明確な意思決定ラインの再構築と、②大江広元のような「高い専門実務を持つプロフェッショナル人材」の配置だ。初期の武力(営業力)だけに頼るフェーズから、実務・法務・システムの基盤を作るフェーズへ、組織の成長段階に応じた適切な人材ポートフォリオの刷新が不可欠だろう。