「それは、うちの仕事ではありません」。
ある部品メーカーで、顧客からの急な納期変更について議論していた際に、出てきた言葉だ。営業部門は「お客様の要望に応えてほしい」と生産部門に詰め寄り、生産部門は「決められた生産計画通りにつくっている」と跳ね返す。双方とも自分たちの役割を果たしているつもりだが、顧客への回答はなかなか決まらない。
この企業では、「お客様の需要変動に対応し、競争力を高める」という戦略が打ち出されていた。社員もその必要性は理解している。それなのに、なぜ現場では従来通りの仕事が続いているのだろうか。
前回は、経営層と現場の認識の違いから生じる「意味の断絶」と、それを解消する「戦略翻訳」を紹介した。今回は、戦略の意味を理解していても仕事が変わらない「役割の断絶」に焦点を当てる。
戦略が変わっても、仕事の定義は変わらない
「役割の断絶」とは、経営戦略が変わっても、各部門や社員が従来の役割認識にとどまり、戦略の実現に必要な役割へと変化していない状態を指す。
例えば、DXによる事業変革。経営層は、デジタル技術を活用してビジネスモデルや顧客への提供価値を変えたいと考えている。しかし、情報システム部門は、従来通り「社内システムを安定的に運用すること」が役割だと捉えている。デジタルを活用した新しいサービスの開発について相談されると「それは事業部門の仕事ですよね」と答える。
経営層が期待しているのは、情報システム部門が「デジタルを活用して事業や業務を革新する存在」になることだ。しかし、役割認識が変わらなければ、DXは既存システムの改善や効率化にとどまってしまう。
こうした問題が起きるのは、経営戦略が変わっても、各部門に求められる役割が十分に見直されていないからだ。部門の目標や評価基準も従来のままであれば、社員はこれまで通りの仕事を続ける。情報システム部門がシステムの安定稼働や障害対応で評価されているなら、事業変革よりも既存システムの維持に力を注ぐのは自然なことだ。
ここで問題なのは、社員が仕事をしていないことではない。むしろ、従来の役割を真面目に果たしているからこそ、変革が進まないこともある。戦略は変わった。しかし、仕事の定義は従来のまま。これが「役割の断絶」だ。
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企業では、部門ごとの役割分担を明確にすることが重要だ。しかし、経営戦略が変わっても従来の役割認識のままでは、各部門が仕事をしっかり果たしていても、戦略は進まない。
例えば、「新規事業を新たな収益の柱へと育成する」という戦略。営業部門は既存商品の売上目標を追い、開発部門は優れた技術や商品の開発を進める。マーケティング部門は市場動向や顧客ニーズを調査し、その結果を各部門に提供している。
どの部門も手を抜いているわけではない。しかし、顧客の未解決課題から事業機会を見つけ、商品・サービスとして形にし、収益事業へと育てる役割は誰が担うのだろうか。各部門が従来の役割にとどまれば、活動は積み重なっても、新たな収益の柱は生まれない。
KaplanとNorton(2006)は、経営戦略の実現に向けて、各部門の活動を全社戦略に整合させる仕組みの重要性を論じている。組織構造を変えるだけでは戦略は実現しない。各部門が全社戦略にどう貢献するかを明確にする必要がある。
さらに、新規事業の創出をこれまでの業務への「追加業務」として位置づけても進まない。営業は既存商品の売上目標を追い、開発は既存の開発計画を進める。そのうえで新規事業にも取り組むよう求められても、仕事の優先順位は変わらない。
ここで人事に考えてほしい。戦略が変わったとき、各部門に期待する役割や社員の責任を見直しているだろうか。それとも、従来の役割を前提に、新しい仕事や能力を追加していないだろうか。役割再定義とは、仕事を増やすことではない。戦略の実現に向けて、各部門が何を担い、どんな価値を生み出すかを捉え直すことなのだ。
最初に変えるのは、スキルより「仕事観」
では、冒頭の生産管理部門の事例に戻ってみたい。役割の断絶は、社員一人ひとりの仕事観にも表れる。
生産管理の担当者が「正確に生産計画を立て、計画通りに進めること」を最も重要な役割だと考えているとする。計画の精度や安定した生産は重要だ。しかし、会社の戦略が「顧客の需要変動に柔軟に対応する」へ変われば、従来の仕事の進め方を見直す必要がある。
そこで重要になるのが、仕事観の転換だ。「計画を守ることを優先する人」から、「顧客の変化を先読みし、生産のあり方を変える人」へ。単に計画の変更回数を増やすのではなく、顧客のニーズを起点に、営業や製造部門と連携して供給力を高める役割への転換だ。
例えば、特定の商品への注文が増える可能性が見えてきたとする。従来の役割認識なら、正式な受注後に生産計画を調整する。しかし、新しい役割を認識していれば、営業や製造部門と早めに情報を共有し、生産能力や在庫の準備を検討する。変化を先読みして働きかけることが、新しい役割になる。
ここで、いきなりスキル研修を実施しても十分ではない。従来の役割認識のままでは、新しいスキルも従来の仕事の延長でしか使われない。まず「自分たちは何のために存在し、どんな価値を生み出すのか」を問い直すことが重要だ。
人事が進める「役割再定義」の3つの問い
では、どうすれば役割の断絶を解消できるのか。私たちジェックが重視しているのが「役割再定義」というメソッドだ。経営戦略を起点に、組織や社員が担うべき役割を捉え直す取り組みである。
重要なのは、従来の業務分掌や職務記述書の修正から始めないことだ。まず戦略の実現に必要な組織能力を考え、そのうえで部門や社員の役割を見直す。次の3つの問いが出発点になる。
【第一の問い】「戦略を実現するために、何ができる組織になるべきか?」
例えば、DXによる事業変革なら、業務を効率化するだけでなく、新しい顧客価値やビジネスモデルを生み出せる組織になる必要がある。人事は経営層に「DXによって、会社の競争力をどう変えたいのか」と問いかけ、会社として新たに獲得すべき組織能力を明らかにする。
【第二の問い】「そのために、各部門・社員は何を担うべきか?」
必要な組織能力が明確になったら、人事は各部門の責任者と役割を見直す。情報システム部門は「社内システムを安定的に運用する部門」から「デジタル技術を通じて事業や業務を革新する部門」へ。事業部門も「既存事業を運営する部門」から「デジタル技術で新しい顧客価値を生み出す部門」へ。経営戦略に合わせて、それぞれの存在意義を捉え直す。
【第三の問い】「新しい役割を担うために、何を変えるべきか?」
新しい役割を担うには、仕事の進め方や人材要件も見直す必要がある。情報システム部門なら、運用管理だけでなく、事業を理解し、デジタル技術による変革を構想できる人材が求められる。人事は部門長と協力し、既存業務の効率化を検討するとともに、人材の育成・採用・配置を見直す。役割再定義を人材戦略につなげることが重要だ。
この3つの問いは、人事だけで答えを出すものではない。経営層が必要な組織能力を示し、各部門が役割を考え、社員が自分の仕事として受け止める。人事は、その議論を設計・推進し、経営戦略と現場の仕事をつなぐ。
人事部門の役割は、変わっているか
ここで、人事部門にも問いかけたい。各部門に役割の再定義を求める人事は、自分たちの役割を変えているだろうか。
人的資本経営というと、採用や育成への投資、スキルの可視化、エンゲージメント向上などに目が向きやすい。もちろん重要だ。しかし、人事の役割が「人材を採用する」「研修を実施する」「制度を運用する」のままであれば、人材戦略は従来の延長線上にとどまる。
例えば、AIを活用して業務構造を改革するという戦略。人事が「全社員にAI研修を実施すること」を役割だと捉えれば、研修の受講率やスキルの習得状況が成果になる。しかし、経営が求めるのはAIを使える社員を増やすことだけではない。AIを前提に仕事を見直し、新しい価値を生み出せる組織への転換だ。
だとすれば、人事の役割も変わる。研修を実施することから、AIによって各部門の役割がどう変わるのかを明らかにし、必要な育成や配置を設計することへ。受講率だけでなく、組織にどんな変化が生まれたかまで目を向ける必要がある。人事の成果も、施策を実施したかではなく、戦略実現に必要な組織の変化を生み出せたかで捉え直したい。
人的資本可視化指針の改訂で重視される経営戦略と人材戦略の連動も、計画上で両者を結びつけるだけでは十分ではない。戦略に合わせて組織能力や社員の役割を見直し、採用、育成、配置、評価を組み替えていく。そこに、人事が「経営戦略の実装者」として果たすべき役割がある。
役割再定義は、事業部門だけの課題ではない。人事部門自身が生まれ変わるための問いでもあるのだ。
役割が変わっても、行動は変わるとは限らない
役割再定義によって「自分たちは何を担うべきか」が明確になると、仕事に対する見方は変わる。しかし、もう一つ乗り越えるべき壁がある。
例えば、生産管理担当者が「顧客の変化を先読みし、生産のあり方を変えることが自分の役割だ」と理解したとする。では、明日から何をすればよいのだろうか。需要の変化をどんな情報から把握するのか。営業部門からの変更依頼にどう対応するのか。誰と調整し、何を判断するのか。そこまで明確でなければ、新しい役割を理解しても行動は変わらない。
役割再定義は戦略実装の重要な一歩だが、それだけでは十分ではない。新しい役割を、日々の仕事で実践できる行動に変える必要がある。
役割が変わらなければ、仕事は変わらない。しかし、役割が変わっても、何をすればよいかが分からなければ、行動は変わらない。
次回は、期待される役割が明確になっても具体的な行動に結びつかない「行動の断絶」を取り上げ、それを乗り越える「行動プロセス設計」について考えていきたい。
出典:Kaplan, R. S., & Norton, D. P. (2006). How to implement a new strategy without disrupting your organization. Harvard Business Review, 84(3), 100–109, 150.