ビジネスパーソンから注目を集める「言語化」。しかし、転職が当たり前となり、国籍や文化が交差する組織では、個人のスキルだけでは意思疎通は成立しない。もはや「言語」は経営課題なのだ。この難題に、約55カ国から人材が集まるメルカリはどう向き合っているのか。多様なメンバーが力を発揮するための「言語戦略」に迫った。
─メルカリでの親松さんの役割について教えてください。
親松:私は、社内の言語教育を担う「LanguageEducationTeam」の立ち上げ時に、日本語教師として入社しました。社員が最大限の力を発揮し組織の中で活躍できるよう「言語」という観点からサポートすることをミッションに、教育プログラムの企画から設計、レッスン内容の作成、そして講師としてレッスンを実施するところまで一貫して担っていました。現在では講師として直接レッスンを行うことはしていませんが、日本語だけでなく英語についてもプログラムの設計を行っています。そして「やさしいコミュニケーション」というトレーニングのプログラムマネジメントも担当しています。
──2018年に入社された当時も、すでに外国籍の社員は多かったのでしょうか?
親松:はい、多国籍化はかなり進んでいました。ただ、日本語・英語ともに、教育プログラムの目的や成功の定義が正しく設計されないまま、レッスンだけが提供されている状態でした。そのため、現場のニーズに十分応えられていませんでした。レッスンで難しい単語や文法を勉強しても、自席に戻った時に隣の人へ声をかけることができない、という状況が起きていたんです。
そこでまず、「言語教育を通じて社員にどうなってほしいのか」を明確にするところから議論をスタートしました。その結果、一人ひとりが言語にかかわらず、仕事で最大限のパフォーマンスを発揮できる状態をゴールとし、具体的にはビジネスにおける業務遂行のためには、CEFR(※1)のB2レベルが適切であるという結論に至りました。ポイントは、B2レベルの口頭運用能力を重視したことです。言語知識の量を増やしテストで高得点を取得することを目指すのではなく、「言語を使って何ができるか」、つまりビジネスの場でコミュニケーションが取れるようになることをゴールにしました。例えば、「同僚に仕事の依頼をすることができる」といった実際の行動目標を設定し、目標達成に必要な言葉を学ぶといった、プロ
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(※1)CEFR:外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠(CommonEuropeanFrameworkofReferenceforLanguages)」の略称
──実践的で非常に魅力的ですが、カリキュラムやテストを作るのは大変そうですね。
親松:そうなんです。当時、日本語教育においてそのような実践的な取り組みはまだ始まったばかりで、ゼロからプログラムを作る必要がありました。幸い、英語教育ではコミュニケーションを重視した学習の仕組み作りが進んでいたので、それを参考にしました。また、社内には日本語学習者が多くいるため、「日本語を使う場面でどんな点に困っているのか」「もっと自信を持って話すには何が必要なのか」というリアルな声を拾ってプログラムに反映できたことも大きかったです。社内に日本語教育が専門の社員を採用するのは珍しい試みでしたが、社員という立場だったからこそ、実際の会議や日常のやりとりを観察することができました。そうすることで、どこでコミュニケーションの困難が発生しているのか直接把握することができました。大変でしたが、楽しいプロセスでもありました。
──メルカリの言語教育は、今お話しいただいた「日本語教育」に加え、「英語教育」、そしてその両言語の橋渡しとなる「やさしいコミュニケーション」の三本柱で構成されています。「やさしいコミュニケーション」について教えてください。
親松:「やさしいコミュニケーション」とは「やさしい日本語」や「やさしい英語」を使って、相手に合わせて伝わりやすい言語に調整しながら話すコミュニケーションのことです。もともと「やさしい日本語」という日本語を第二言語として使っている方にとって分かりやすいように調整した日本語があります。「やさしい日本語」が生まれたきっかけは、阪神・淡路大震災でした。当時、日本人よりも外国籍の被災者の死傷率が高かった原因の一つが、情報が正しく伝わっていなかったことにありました。緊急時に多言語翻訳は時間がかかるため、迅速かつ正確に情報を届ける「災害時の言語」として、「やさしい日本語」の研究が始まりました。その後、区役所のお知らせやニュース、医療現場など平時の生活領域にも広がり、ビジネスシーンでも使われるようになりました。「やさしい日本語」を活用している企業では、日本人上司が外国人部下に指示を与えるための言語として使われるケースが多いように思います。
私は入社前の採用面接の時点で、「メルカリには『やさしい日本語』の考え方が必要なので、私が推進します」と伝えていました。社員の国籍が約55カ国に及ぶ、フラットな組織であるメルカリにおいては、指示を与えるための一方的な「やさしい日本語」ではなく、社員同士がコミュニケーションの中で互いに歩み寄ることが重要だと考えました。言語にかかわらず一人ひとりが力を発揮できる環境を作るためには、伝え方を工夫したり相手を理解しようとする「やさしい日本語」が最適なのです。
──外国籍の方への「日本語」教育だけでなく、日本語話者への「やさしい日本語」教育も必要なのですね。研修は全社員が受けるのですか?
親松:メルカリへ入社する全員に、「やさしいコミュニケーション」について知ってもらえるよう、入社オリエンテーションや新卒研修で必ずトレーニングを行っています。また、新卒を受け入れるマネージャーやメンターも受講します。さらに全社向けのeラーニング教材も作りました。
──「やさしいコミュニケーション」という考え方自体は理解できたとして、日常会話においてすぐに使いこなせるようになるのでしょうか?
親松:日本語話者と英語話者では大きな違いがあります。英語話者は、英語を第二言語として習得している人が世界的に多いため、相手に合わせて「やさしい英語」に切り替えるのがうまい人が多いです。一方、日本語母語話者は日本語を「第二言語」として客観的に見る経験がほとんどありません。そのため、何をどう言い換えればやさしくなるのか、具体的に言葉を変えることはスムーズにいかないことが多いです。また、日本語のコミュニケーションでは「自分が相手にきつく聞こえないように」と必要以上に配慮して婉曲的な表現が増え、結果的に分かりにくい日本語になってしまうケースが非常に多く、心理的なブロックを外す必要もあります。日本語話者が「やさしい日本語」を使うのは、実はとても難しいんです。
研修では、「形式にこだわり過ぎないように」と伝えています。「この表現を使えばやさしい日本語だ」と決めつけるのではなく、相手が理解しているかどうかコミュニケーションを取りながら反応を見て、「今の言葉はわかりにくかったかもしれないから、こう言い換えよう」と試行錯誤する姿勢が大切です。「自分の伝えたいことの核は何か」「何を決めたくてこの話をしているのか」を意識することがポイントです。
日本語母語話者同士であっても「やさしい日本語」を意識し、曖昧だったコンテキスト(文脈)をはっきりさせることで、ちゃんと伝えたいことが伝わるというメリットがあります。相手にどのようなコンテキストを与え、どんな答えを期待しているかまで考えて話すことが大切です。
──「やさしい日本語」の定着度を測るテストはあるのですか?
親松:「やさしい日本語」や「やさしい英語」に書き換えるAIツールは作ったのですが、定着度を評価するものがないのが今の課題です。今後はAIの力も借りて、会議の評価ツールのようなものを作りたいと考えています。現在は、トレーニング前後の自己評価(自分は相手に対して分かりやすいコミュニケーションができているか)と、他者評価(相手は自分に対して分かりやすいコミュニケーションができているか)を見ています。興味深いことに、トレーニング直後は自己評価がかえって下がることがあります。トレーニングを受けることで「以前は何も意識していなかったが、実は自分の伝え方では十分に伝わっていなかったと気づいた」という自省が生まれるからです。この気づきこそが、「やさしい日本語」を身につける第一歩だと思います。
メルカリでは、「お互いの違いを生かして、新しい価値を創造すること」を重視し、「I&Dステートメント」(※2)として発信しています。I&Dというと、人種や性別などが注目されがちですが、社員の母語もまた多様です。日本語あるいは英語といった共通語を使ってやり取りする中で、互いの違いを「正しい/正しくない」で判断するのではなく、どう新しい価値に変えていくかが重要です。
──言語施策とダイバーシティの考え方は密接に関わっているのですね。
親松:はい。これは、その人が社会の中でどう自分らしく活躍できるかを重視する「CEFR」の考え方とも共通します。私たちは、母語と第二言語を単純に切り替えているわけではなく、すべての言語的・文化的バックグラウンドを総動員して社会に参加しています。それをそのまま生かそうという考え方はI&Dと完全に一致します。
ダイバーシティ推進のために、多くの企業が、「異文化理解研修」を行っています。それ自体は素晴らしいことですが、ステレオタイプを強調してしまう恐れもあります。「外国人はこうだからこうすべき」と一括りにしたり、「日本ではこれが大切だ」と一方的に押しつけたりするのでは、単なる同化になってしまいます。本来は、「一人ひとりがそもそも違う」という前提に立ち、自分と違う相手とどう折り合いをつけ、新しい価値を創造していくかを考えるのが、異文化理解の本来あるべき姿ではないでしょうか。
言語の話に戻ると、他社の方から「外国籍メンバーの日本語が片言で困る」という相談を受けることがありますが、詳しく聞くと単にアクセントに母語由来の特徴があるというだけで、文法や語彙的に何も問題がないことも多いです。「日本人のように振る舞ってほしい」という期待値が前提にあると、多様な組織を作る意味がなくなります。それは多様性を生かすのではなく、同質性を求めているだけです。
自分と同じ属性の人ばかりの集団では、似たような意見しか出ない可能性があります。自分らしさを犠牲にする必要はありませんが、まったく違う属性の人の視点を取り入れることで、自分の盲点に気づき、多面的な視点を得られます。その気づき自体がまず重要であり、その上で「私たちのビジネスの方向性はこうだから、今回はこれでいく」と判断していく。このようなダイバーシティの活用が、ビジネスでは重要だと考えています。
──ありがとうございます。最後に、経営層や人事責任者の方々へ向けてメッセージをお願いします。
親松:日本企業でも、外国籍社員と働く機会がますます増えていく中で、コミュニケーションの行き違いが、経営やチーム運営のボトルネックになるリスクが高まっています。言語施策のゴールを、単にテストの点数で決めるのではなく、違いを生かし、共創をしていくという観点から、どのような組織文化を作りたいのか、社員にどう振る舞って欲しいのかという意図を持って設計する必要があります。
そのためには、社内に言語教育の専門家を置くのがベストですが、それが難しい場合でも、必ずプロフェッショナルと連携して専門知にアクセスしていただきたいです。
私が所属する言語教育のチームも、組織改変の中で、組織開発・人材開発を行う部署(Organization&TalentDevelopment)の傘下に入りました。組織開発・人材開発の視点から言語施策を考えるトレンドは、今後広げていくべきかと思います。言語施策への投資を経営課題として捉え、本気で取り組んでいただきたいと強く伝えたいです。