日本を代表するCHROが、“人事以外の専門家”の知に触れ、組織の未来を探索するシリーズ企画「CHROの問い」。
今回は、「HR Frontier」メディアローンチを記念して、YKK APの専務執行役員CHRO(兼)人事戦略本部長 西田氏による特別寄稿を掲載。フランクフルト出張中に手に取った一冊を起点に、組織のあり方を問い直します。
藤井一至氏の『土と生命の46億年史』は、土という最も身近な物質を通じて、私が組織について語ってきた言葉のすべてを再点検することを迫る書であった。
土とは何か。改めて問われると、私たちは答えに窮する。藤井氏は冒頭で定義する。土とは、岩石が崩壊して生成した砂や粘土と、生物遺体に由来する腐植(落ち葉や生物の死骸が微生物に分解されて残る有機物)の混合物である、と。たったそれだけのこと。しかし、その「たったそれだけ」が、46億年の地球史において、わずか5億年前にようやく完成したというのだ。
腐植が地球上に生まれるまで、40億年。生命と土が生まれる下ごしらえに、宇宙はそれほどの時間をかけている。私たちが組織変革に「3年では足りない、5年は必要だ」と語るのが、いかに矮小なスケールであるかを思い知らされる。
粘土がなければ、生命は生まれなかった
最も知的衝撃を受けたのは、第2章の記述だった。アミノ酸を含む生命の材料がそろっても、それだけでは生命は生まれない。スメクタイトと呼ばれる粘土鉱物のマイナス電気を帯びた表面に、プラスの電気を帯びたアミノ酸が集まり、濃縮されることで初めて、タンパク質の合成が可能になる。粘土がなければ、アミノ酸はただ拡散し、加水分解されて消えていく。つまり、生命の誕生は、アミノ酸という「個」の力ではなく、粘土という「場」との出会いによって実現したのだ。素材だけでは何も起こらない。素材を引き寄せ、濃縮し、関係を結ばせる場があってはじめて、新しい何かが生まれる。
これは組織論そのものではないか。優秀な人材を集めるだけでは、組織は何も生み出さない。彼ら彼女らが出会い、引き寄せ合い、関係を結ぶ「場」がなければ、能力は拡散して消えていく。HRが設計すべきは、優秀な個の獲得だけではなく、優秀な個が関係性を結ぶ「粘土」のような場なのだ。
「土壌を耕す」ことの、より深い意味
私はかねてより、自律連携型組織のあり方を語る際、森の比喩を用いてきた。地上では一本一本の木が自律して立っているが、地中では菌根菌(植物の根と共生し、栄養分のやりとりを行う菌類)のネットワークを通じて互いに連携しあっている——これが理想的な組織体系だ、と。
藤井氏の本は、この比喩の解像度を一段引き上げてくれた。とりわけ興味深かったのは、菌根菌に大きく二つのタイプがあるという事実だ。一つはアーバスキュラー菌根菌。草本でも樹木でも、陸上植物の8割が共生している最も普遍的なタイプで、菌糸が植物の根の細胞内にまで侵入し、糖分とリン・窒素を細胞レベルで直接交換する、いわば「密着型」の共生者である。もう一つは外生菌根菌。マツタケやシイタケの仲間を含み、主に樹木の根の表面を菌糸で包み込むようにして共生する「コーティング型」のパートナーで、岩石を溶かしてリンを取り出す驚くべき能力を持つ。藤井氏はこれを「岩を食べるキノコ」と表現する。
地中で何が起きているのか。植物は光合成で得た糖分をこれらの菌根菌に渡し、菌根菌は土壌中に菌糸を張りめぐらせて植物単独では届かないリンや窒素を集め、植物に届ける。一方の力では得られないものを、互いに注文をつけることで排除されない関係。藤井氏は「双方通行のラーメンの名店と常連客のようだ」と記す。
しかし、この共生は牧歌的なものではない。植物は菌根菌を「ハッキング」する寄生植物ストライガに襲われ、年間1兆円を超える農業被害をもたらす。共生菌のふりをして根に侵入する病原菌もいる。共生関係に「タダ乗り」して搾取するだけの存在もいる。共生と寄生のあいだの境界は、驚くほど薄い。それでも5億年にわたってこの関係が続いてきたのは、共生のメリットがリスクを上回り続けてきたからだ。「土の中での競合は地下で今も続いている」。この一文に、私は深い示唆を受けた。
組織もまた同じだろう。自律連携を標榜しても、関係性の中には寄生して搾取する存在が必ず混じる。きれいごとでは済まない地下の攻防があってなお、共生のメリットが上回るように土壌を整え続けることが、HRの本来の仕事である。
そして、土そのものもまた、生きている。微生物が有機酸を出して岩石を溶かし、ミミズがフンをして団粒構造を作り、菌糸が土の粒子を編み込む。土は、無数の生物の働きが折り重なって「創発」する集合体である。藤井氏はこれを超個体と呼ぶ。個々の微生物の足し算ではなく、相互作用そのものが土の本質なの
…
「組織の土壌を耕す」——この言葉に、私はこれまで以上の重みを感じるようになった。土を耕すとは、すでにある共生と競争と寄生の網の目に手を入れることであり、見えない攻防と神秘的な物質循環の上に、ようやく成り立っている均衡に介入することなのだ。HRの仕事は、そのことを畏れながら行わねばならない。
役割の異なる微生物たち——一律評価への警鐘
第3章で描かれる微生物の世界は、さらに踏み込んだ示唆をもたらした。落ち葉を分解する微生物は、1種類ではない。多くの細菌、古細菌、菌類が分業し、それぞれが得意な酵素を出し合う。「これがシャーレの上で培養したオーケストラだ。1種類の微生物では土が作れない」と藤井氏は書く。
セルロースを分解する菌、リグニン(植物の細胞壁を構成する非常に分解されにくい高分子化合物。木材を硬くしている主成分)を分解する白色腐朽菌、リンを溶かすアーバスキュラー菌根菌、岩石を溶かす外生菌根菌——それぞれが異なる時間軸で、異なる役割を果たす。マツタケが生えるのに数千円の値がつくのは、貧栄養の土でアカマツの根元に共生する外生菌根菌が、ゆっくりとしか機能しないからだ。早ければよいというものではない。ここに、組織評価の本質的な問いがある。
私たちは、しばしば一律の評価指標で人を測ろうとする。しかし、リグニンを分解できる菌だけを評価する森は、数年で立ち行かなくなる。糖分を素早く分解する菌だけでなく、何年もかけて頑固な有機物を分解する菌があってはじめて、森の物質循環は持続する。
組織における「目立たない貢献者」は、外生菌根菌のような存在かもしれない。すぐには成果が見えない。しかし、その地道な働きがなければ、組織全体のエコシステムは枯渇する。一律のKPIで測れば、彼ら彼女らはランキングの下位に沈む。だが、それは測り方の問題であって、貢献の問題ではない。
YKK APで私たちが進めているKHI(Key Human Indicators、KPIでは捉えきれない組織の雰囲気・揺らぎ・変化の兆しを、人間の感性、センサーで感じ取ろうとする独自の試み)が捉えようとしているのは、まさにこの外生菌根菌のような働きの可視化ではなかったか。土の健康状態を見るのに、収穫量だけを測っていては足りない。pH、団粒構造、生物多様性——多面的に診なければ、土は突然崩壊する。組織もまた、同じである。
では、菌たちは何のために働くのか
ここで、私の中に残った問いに向き合いたい。それぞれの菌は、何のために役割を果たしているのか。自らの生存と繁栄のためなのか。利己的な遺伝子が、結果として共生を生み出しているにすぎないのか。藤井氏は、この問いに直接答えてはいない。しかし、本の全体が一つの答えを示唆しているように、私には読めた。
意味は、後からやってくる。
40億年かけて土と生命が共進化した結果として、今日の森がある。最初から「共生しよう」と決めた菌はいない。粘土がアミノ酸を集めたのも、意図ではなく、電気的な引力にすぎなかった。しかし、結果として、その関係性が生命を生み、森を育て、人類の文明を支えてきた。
意味づけは人間の特権である。だからこそ、私たちは問い続けねばならない。私たちの働きは、何の役に立っているのか。誰の何を支えているのか。その意味づけこそが、利己と利他の境界を溶かし、組織を「超個体」へと進化させる。
ヴィクトール・フランクルが説いた「意味への意志」とは、おそらくこのことだ。生物学的には利己的でしかありえない私たちが、なお意味を求めずにはいられない。その問いを抱え続けることが、人間が「土の上に生きる」ことの本義ではないか。
関係性が、世界を動かす
土と生命の46億年史を通じて、私が受け取った最大のメッセージは、こうだ。
「世界を動かしているのは、個ではない。関係性である。」
アミノ酸を生命に変えたのは粘土との関係であり、植物を陸上に上げたのは菌根菌との関係であり、森を森たらしめているのは、競争と共生と寄生が同居する地下のネットワークである。私たちの腸内にも、1グラムに1000億個の細菌が住む。約1000種に及ぶ腸内細菌に、人体という1001種目の生物を加えた共同体 ——藤井氏はこれを「シェアハウス」と呼ぶ。私たちは、独りではない。一人として、独りで生きている存在はない。
組織もまた、同じ法則の上に立っている。地上の自律と地下の連携——この比喩を、私はこれからも使い続けるだろう。ただし、その背後にある地中の攻防、寄生と搾取も含めた複雑な共生の仕組み、5億年の時間が編み上げてきた均衡への畏れを、より深く胸に刻みながらであることは言うまでもない。
優秀な個を集めることに、HRはあまりに多くの労力を注いできた。これからは、関係性を設計することに、同じだけの労力を注ぐべきではないか。粘土のように、人と人を引き寄せる場を作ること。外生菌根菌のような目立たぬ貢献を見出し、その価値を組織に翻訳すること。超個体としての創発を信じ、設計図にない動きを許容すること。
土は、46億年かけてその答えを示してくれている。私たちに残された時間は、もっと短い。だからこそ、土から学ぶ必要がある。